受験生の皆さんへ/to Student

校長室より~3学期始業式のメッセージ~

旧約聖書 詩編  23 :1~3
1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
3 主はわたしの魂をいきかえらせる。

『漫画 君たちはどう生きるか』の発行部数が100万部を超えたというニュースが何度か話題になっていますが、知っている人もいるでしょう。
先週6日NHKのニュースでも話題として取り上げられていました。『漫画 君たちはどう生きるか』は81年前に児童文学者の吉野源三郎さんが少年少女向けに書いた『君たちはどう生きるか』が原作で、昨年8月に羽賀翔一さんがそれを漫画化してマガジンハウス社から発行されました。
NHKによると、同時に発売された原作を読みやすくした新しい装丁の本もこれまでに30万部が発行されているそうです。80年前の名作をもとにした漫画と小説が昨年の8月の発売から5か月で130万部の売れ行きで、最近では異例のブームと報道されていました。

児童文学者の吉野源三郎さんが書いた『君たちはどう生きるか』は10章に分かれていて、10の話でまとめられている本です。各章には、主人公の本田潤一君が学校生活の中で経験する出来事が書かれています。そして、各章の終わりには「叔父さんのNOTE」があり、潤一君の話を聞いた叔父さんが、潤一君に宛てて言葉を添えるという構成になっています。本の中では、本田潤一君はコペル君と呼ばれていますが、何故そう呼ばれるかは読んでみるとわかります。
吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』は、1937年(昭和12年)に新潮社から発行されました。80年以上もの前に書かれた本が、今どうして新しく漫画版や新装版になったのか、そしてたくさん売れているのかは、いくつかのニュースで報じられています。NHKのニュースにはマガジンハウス社の「あらゆる世代に親しまれ、親から子どもへのプレゼントとか、学校での一括購入などが増えている」というコメントがありました。また、アニメーション映画の宮崎駿監督が、製作中の新作に、原作にちなんで「君たちはどう生きるか」というタイトルをつけたことでも話題となっていると報じられていました。

さて、私は、吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるかを今から36年前に初めて読みました。36年前と言っても出版されてから45年後のことです。初めて岩波文庫になった1982年に文庫本で読みましたが、その時の印象は全く古さを感じなかったことです。
私はその話の中の7番目の話しの「石段の思い出」という話が印象的で忘れられません。
6番目にある潤一君の話の続きなのですが、学校でのある出来事で勇気を出せなかったと深く悩んでいる主人公の本田潤一君に、お母さんが自分の経験を話すという物語でした。
お母さんの話を簡単にまとめると、女学生のころ、学校から帰る途中、神社の石段を上っているときの経験です。神社は東京湯島。
見たところ70才を超えていると思われるおばあさんが、石段の先を上っている。おばあさんは、風呂敷包みを下げて持って石段を上っている。おばあさんの包みの中は、何かは判らないが、小さいけれどとても重そうに見える。そして下駄を履いているおばあさんは、2、3段上っては休み、上る。また休んでは再び上る。それを繰り返している。少しあとから上っているお母さんが、下から見ていて、「おばあさん、持ってあげましょうか。」と声をかけようとした。しかし、声にならない。よし、今度休んだら声をかけようと、おばあさんが休むと思う。しかし、次にもできない。そんなことを何度か繰り返しているうちに、おばあさんは石段を上りきってしまった。これがお母さんの後悔となって残っている、というお話です。
似たようなことを誰もがしたことがあるようなよくある話です。それをお母さんは、ある出来事で「動けなかった」と苦しんでいる息子の潤一君に語って、最後に次のように語ります。「おばあさんの大儀な様子を見かねて、代わりに荷物を持ってあげようと思いながら、おなかの中でそう思っただけで、とうとう果たさないでしまった。まあ、それだけの話ですけど、このことは妙に深くお母さんの心に残ったんです。」
「石段の思い出は厭な思い出じゃないの。……お母さんは、あの石段のことでは損はしていないと思うの。……そのことだけを考えれば、そりゃ取り返しはつかないけれど、その後悔のおかげで、人間として肝心なことを、心に沁みとおるようにして知れば、その経験は無駄じゃあないんです……」

こうしようと思っていても、それを思うだけで行動にできないことってあります。今までいろいろそうしようと考えてきたけれども、なかなか踏み出せないということがあります。あるいは、決意を何度もしたけれど結局くじけて前進しない、できないということがあります。誰にでもあることです。私は初めてこの本を読んだ時、この話の潤一君のお母さんの短い話に一番心を掴まれました。よくありそうなことの短い話ですが、本当に心を掴まれました。それは自分に通じるものがあったからだと思います。
この話の後の叔父さんのNOTEには、「後悔」することについて哲学的な話が続きます。叔父さんは、しなかったことをダメだと語るのではありません。また、開き直ってそれでいいと語るものでもありません。つまり、このことを悩む自分をどう考えるか、そしてそれを考えることによって新たに何を決意するかを語り掛けてくれます。

今日は3学期の初めです。
新しい節目に立つとき、人は何かを決意しているものです。小さいことでも、大きいことでも、何かを心の中に持っているものです。内容は人それぞれでしょうが、何故それを決意するのかを新たに考えることが大切です。
新たな決意を何故したのか、どう決意するのか。その決意の理由は何か。そんなことを少し深く考えつつ、3学期、あるいは2018年の新しい年を始めたいと思います。


2018年1月9日
関東学院六浦中学校・高等学校
校長 黒畑 勝男