校長のつぶやき(50)「10年を経て」


掲載日:2021.03.13

2011年3月11日から10年。以来毎年、本校は3月11日の学校礼拝を「東日本大震災を覚えて祈る日」の礼拝としています。

今年は、日本バプテスト神学校の神学生山田三千江さんから「土の器だけれど」というテーマでお話をいただきました。いつものように三密の回避で、その日は3年生だけが礼拝堂。他の学年は教室への同時配信での礼拝でした。震災、津波で深い悲しみの中にあったけれども、10年の年月の中で、多くの人々との関わりの中で、いまの生活が社会貢献の活動に結び付いていったという方々の紹介がありました。悲しみを覚えつつ、そこで何かが変わる…。

メッセージを聞きふと思いだしました。東日本大震災は同時に原子力発電所の事故による災害でした。東日本大震災は世界の全ての国にとって、あってはならないはずの大きなレッスンとなりました。世界中に原発可否の議論を一気に巻き起こしたレッスンでした。
ドイツのメルケル首相は事故直後に、ドイツ国内の災害ではありませんが、ドイツ国内の全ての原子力発電所の安全点検を徹底的に行わせ、2022年までに全ての原子力発電所の稼働停止までも決定しました。
その後の電源政策はいったい温暖化の加速になってはいないのか。これを多角的に考えれば、急激な原子力の利用停止の決定は現実的で正しいことなのか、という論議が起こるのは当然です。しかし、目標が福島のレッスンを繰り返さないということで、何かを変えるということでは、一時期的には矛盾や混乱が生じるけれども、また一方で大きな利害の衝突も生むけれども、その決定には根本的に取り組むという決意の固さと大きさと、未来の世代への責任に対する強い意識があると感じました。これは誰もが感じる単純な感想で、記す必要もないことでしょう。
しかし、被爆経験を唯一持つ国の日本における原発事故なのに…という思いと、そして地震多発国なのに…という懸念が、日本の社会の意思決定のあり方を対照的にして見せます。たしかに日本も国内の原発を停止にはしましたが…。

目には見えないけれども住めない、帰れない、入れないという災害による生活と人生の破壊。その大きな哀しみは、地震と津波による被害の悲しみと同じようにあります。その哀しみはどうしたら癒されるのか、何かに変わるのか。日本の社会の意思決定がその哀しみを唯一変えられる方法だと思いました。