本校卒業生が愛媛国際映画祭のコンテストで準グランプリ
掲載日:2021.12.15
現在、映像作家として活動している本校卒業生の藤本楓さん(2014年3月卒業 東京藝術大学大学院映画専攻修了)、愛媛国際映画祭で行われたコンテストで準グランプリに輝きました。
愛媛国際映画祭で行われている「愛顔(えがお)感動ものがたり映像化コンテスト」で、『鈍色のそら』という作品が今年度の準グランプリに選ばれました。
*** 以下、作品のYouTubeページより抜粋 ***
令和3年度愛顔感動ものがたり映像化コンテスト 準グランプリ
藤本組『鈍色のそら』(神奈川県)
原作:杉野 典子『鈍色のそら』
昭和32年。両親が離婚して父方の祖父母に育てられていた私は、東京に移り住んでいた父親に引き取られた。中学2年の春だった。
新しい家に着くと新しい母がいた。とても優しい人だった。父は日本橋の製薬会社で働いていて羽振りもよく、松山の小さな家とは一転して、私専用の部屋と大学生が使うような立派な机と椅子が与えられた。とても嬉しかった。転校した中学では「なもし女」と松山訛を馬鹿にされ仲間外れにされたが、優しい両親のことを思えば耐えることができた。
しかし半年後、両親の態度が豹変した。義母に子供が産まれたのだ。全ての関心は赤ん坊に注がれ、私は義母に言われるまま毎日みんなの洗濯とおしめを洗った。手があかぎれでひどく痛んだ。お弁当も作ってはくれなくなった。日曜日はいつも父と母と赤ん坊の3人で外出し、夜は私ひとりでご飯を作って食べた。もう希望も何もなくなってしまった。
そんなある日、学校で写生大会があった。描きたいものなど何もなかった私は、ただ空だけを描いた。晴れていたのにもかかわらず私が描いた空は鈍色だった。
「面白いもの描いているな」美術の島田先生がやって来て「そこに黄色やピンクを入れてみるといい。色っていうのは自由なんだ」と言った。その通りにしたら、雲が流れだした。びっくりした。
「何か困っていることがあったらいつでも来なさい」あまりに暗い絵を見て何かを察したのか、先生はそう言って私に微笑んだ。誰かが自分のことを心配してくれる。そのことがただただ嬉しくて涙が溢れた。
その絵は展覧会で賞を貰った。以来、絵のおかげで私はクラスで一目置かれる存在となった。よれよれの服を着ていつも美術室でひたすらキャンパスに向かっていた島田先生。あの時の先生の言葉がなかったら今の私はない。