校長のつぶやき(66)『バケモノの子』を鑑賞して
掲載日:2022.06.30
いまも収束してはいませんが、コロナ禍。この2年間、学校だからこそ…という学校行事がことごとく中止や延期となりました。行事を通して経験することが教育そのものということが多いことから、本当に悔しい日々でした。生徒たちが不憫でなりませんでした。しかし、行事も徐々に回復、学校の本来の姿を取り戻してきています。
6月9日と10日の2日間、生徒たちが自らの手で企画した中学、高校それぞれのスポーツ大会。晴天の中で開催されました。コロナ感染防止対策でやむを得ず…の中から生まれた「新しく考える力」。その第一歩の大会が見事に開催されました。生徒達の無邪気な笑顔と歓声、応援の声がキャンパス中に響き渡っていました。この経験は生徒たちに、自ら前進する力を増進させると確信しました。学校にとっても大きな前進です。来年も期待したいと思います。もっともっと進め。
そして、6月24日、先週の金曜日。3年ぶりの芸術鑑賞が叶いました。2年間、劇団四季さんには申し訳ないほど何度も延期とキャンセルとをお願いしてきた経緯があります。今回は浜松町のJR東日本四季劇場[秋]で、それも貸し切りにしていただき、中高全学年一同で一緒に『バケモノの子』を鑑賞させていただきました。言うまでもなく感動でした。
劇団四季さんの作品は映画とはまた違って、俳優さんたちが演じる姿、台詞からほとばしる情熱、舞台効果からの情緒豊かな温もりを通していろいろなテーマが伝わってきました。熊徹と九太の次第に深まっていく絆とお互いの成長。九太の中にある…人間が普遍的に持つ「闇」との戦い。また人間の子として同じように「闇」を持つ一朗彦の心の問題。楓も端的に示した「闇」。
「闇」は単に個人の心の問題ではなく、人間が所属する社会で生きていく中で、関係性の中で抱えてしまうエゴイズムや孤独、コンプレックス、羨望、現実と自分の乖離、自己欺瞞、それらに振り回される心身と暴走…。誰もが理解する人の業です。
その中で際立った九太の行動。九太がバケモノの世界で様々な人(バケモノ)の世話を受けてたくましく成長したことの自覚と行動、一朗彦への関わりが語りかけるもの。熊徹の究極の自己犠牲的な愛。
中高生は、コロナ禍と戦争の不穏な影響の中で未来の不安定さを漠として感じているはずです。そして自分自身の拠り所への不安も。しかし、ステージパフォーマンスが伝えるメッセージの熱さの中でそれらはあぶり出されて、きっと燃焼させられると感じました。自分のことだけへの関心で振り回されがちな中で、他者を思う気持ちの価値に気づかされます。
劇場から出てくる生徒たちの表情は様々でしたが、一様に深い感動が表れていたとのこと。皆が同じ芸術作品を鑑賞する。それぞれベクトルは違っていても何処かに、共通の前進が埋め込まれ…と感じています。学校が戻ったかな、と感じました。
劇団四季の皆さま、ありがとうございました。