校長のつぶやき(90)今日から中学入試です。入試の向こうに望む…身に付けるべき大切なもう一つの力


掲載日:2024.02.01

 中学入試。人生には結果的に生きる力を強くする試練がいくつもあります。12歳の子どもたち(みなさん)にとって、入試は最初の試練の一つでしょう。入試で試される力を小さく評価するわけではありませんが、言いたいことは、試験のために準備してきた力はこれからの人生を進めるための重要な基本パーツですが、それが全てではないということです。試験が終わったときには、それまでの学習の積み上げ…成績だけではなく学んできた過程や努力で得たことの総体…を土台に、これまでを次の学びにどのように繋げるか、発展させるかということを見つめることが大切です。

<アカデミックスキルの重要性>

 私が小学校の高学年から中学生の頃は…、そうです、誰もが少しずつ世の中のことが見えてきて社会の色々なものが分かり始める頃です、もう半世紀くらいも前の時代です。高度経済成長期の中で集団就職列車のニュースが流れる最後の頃でした。「集団就職列車」は化石語、死語ですが、地方の中学や高校を卒業して三大都市圏に就職する人々の大きな流れがあって、特に中学卒業での就職者は「金の卵」とも呼ばれていた時代です。日本国内は重工業が牽引役でしたが、東京湾臨海の町工場も急成長の時代で、世界を相手に国内の経済の著しい成長があった時代です。

 でも、世界全体ではまだまだグローバル化が小さい頃で、サプライチェーンも未成長で、社会のインフラ・システムの共通化やフラット化も今ほど地球規模でありませんでした。ですからテレビでは世界を紹介する番組などは、現代のイモトアヤコさんの冒険モノとは違い、本当に未知社会への探検そのものでした。

 ですので、その頃の世界の人々の生活の質やレベルの比較に国や地域の「就学率」や「識字率」も多く用いられていた気がします…いまは経済の規模などのデータで比較が行われますが。学校へ通う子どもたちの割合と文字の読み書きができる人々の人口の割合です。読むことと書くこと、そして計算ができることは危険なく生きるために必要な大きな力で、その割合が国力にも明確に影響していたからだと思います。やはり時代の違いですね。いまの時代は読み書き計算を学校や学習の最終目標にする国や地域は少なくなってきています。でも、識字や計算力、その理屈の理解はアカデミックスキルの基礎基本。やはりアカデミックスキルはその時代にあったアカデミックスキルとして重要なのです。小学校から中高で身に付ける基本的なアカデミックスキルは未来に生きる力の基本的な土台ですから、やはり大切な学習です。

<学力観の変化――受験学力を越える学力>

 しかし、、、なのです。「基本的なアカデミックスキルの習得、より高いレベルでの習熟(正確さ・量・処理スピード)が学習だ!学力だ!」と勘違いしていては「ちょっと大変だよ、という時代ですよ」ということです。もちろん、知識は無ければダメです。多ければ多いほどいいに越したことはないでしょうが、新しい学習指導要領の考え方の根底にあるように、新しい学習観は、正確さ・量・処理スピードという定型の学力を学力とするという考え方から脱却しました。でも入試ではやはり、その基礎的なアカデミックスキルの習得のチェックを抜きには試験が成立しないので、新しい学力観、学習観という考え方の理解自体が難しいですね。

 「受験学力を越える学力」という言葉があてはまると思います。これは私が20年前に勤務していた京都の私学の校長先生が語っていた言葉です。新しい学力観が必ず風靡する時代が来ると力説し、「これまでの受験学力観を越える学力観」での学習を推進していた中で、私の新しい教育観にもなった言葉です。

 当時、私は人口問題と日本社会の縮小に注目していて、少子化・人口減少での国内グローバル化とそのために必要な教育の関係の観点から教育の在り方を工夫し、教頭として新しい学校づくりに邁進していました。人口減少が進めば、教育の中に「主体性」が強く求められる時代がやって来る。一斉講義形式・知識注入型の学びでの成果と評価が全てではない時代が来ると感じていました。

 学習者の学習目的、研究目的を重視し、それと引き合いでそれまでの学習や活動を評価する欧米型の大学入試(AO入試、アドミッションズオフィス方式)。それと程遠い大学入試が日本の大学入試だった時代の中で、その当時に少しずつ登場し始めた日本型AO入試にその兆候が出始めていました。学びの「主体性」への評価の登場だったのです。

<主体性とは>

 最近は学習に関して、主体的な学びとか主体性という言葉が盛んに使われています。現在の教育での流行語のようになっています。では、どんなことを指して学習の「主体性」と呼ぶのでしょう。

 「主体性」は英語では「independence(インディペンデンス)」。この単語が最も「主体性」の意味に近いと解釈されています。でも、この単語の成り立ちから考えると、この単語は日本語の「主体性」とは違った意味を持ってます。最近はそれをいっそう強く感じます。単語を分解してみます。「independence」は「in+depend+ence」で、それぞれの要素の意味では「非+依存(従属)+状態」となります。「依存(従属)しない状態」という意味です。つまり、「たよらないこと、しばられないこと」という意味を持つ単語です。

 では、「依存しない・たよらない」とすると、「誰が」「誰を・何を」たよらないということなのか…です。例えば「あなた」の場合。あなたは「あなた以外の他の人」に「依存しない・たよらない」ということです。独立性や独自性を強く感じます。「independence」は「あなた」と「あなた私以外の人」の二者間に緊張した関係を強調する単語です。

 単語「independence」の緊張関係が示すものは、確固(かっこ)とした自分の方針や考え方をもつことで、学び方の姿勢で言えば、自分の周囲の事柄に対する興味や関心を自分ごととしてテーマ化し、探究し、解決策や新しいものを提案・発信する力の獲得でしょう。

<日本の学校についての振り返り>

 過激な意見ですよ、、、。

 「主体性」という言葉とそれが意味する学習態度への教育は、これまでの日本の学校には有りそうで、実は無かったということでしょう。スローガンに掲げていたとしてもそれは「え?」だった。共通の目標で単純な指標で量られる力が成績で、個人の関心や興味の深度や発展的な学びは、自由研究などでは評価されたけれども、教科の成績や評価に直結するものではなかった。勉強では日本の学校では主体性を育てる風潮がなかった、だから主体性を重視するようになってきたわけです。だいたい、「自由研究」などというのは、戦後GHQに命じられてアメリカの探究的学習の設定とされましたが、日本では馴染みがなく、夏休みのおまけになったようなものなのです。ちょっと過激だ…。

 学習する内容はもちろんですが、活動面でもこれまでは、学校では自分でやりたいと思うことの主張は十分に認められなかった。結果的に認められても小さい範囲だったりする。ものごとの多くが許可や認可の対象で、学校も意味を明確に説明できない「ルール」を強制する。「違反」するとただ「守る」ことを諭されたりとか、あなただけ特別扱いはできないと厳しく言われたりとか、…「協調性」という言葉を大事にするけれど、そろえることや意味もなく歩調を合わせることが「協調性」だと勘違いされてきた…ということも大きな原因だろうと思います。

<「主体的な学び」を考える>

 AIやロボットが人々の生活に浸透し、人間自身が手や道具でやっていたことのかなりの部分がそれらによって置き換わられる。幅広い教養を持つことが重要で、アカデミックスキルを徹底的につけることが学習やその評価基準の全てとは言えない時代が到来してきています。しかし、前述していますが、アカデミックスキルを否定しているのではありません。その中で、主体的な学びを考えましょう。

 本校の実践としては、学年がそろって出かける研修旅行(修学旅行)の代わりに、国内外の選択制研修の制度を敷いています。学びの主体性が研修旅行とも緩やかに結びついて、自分のアカデミックスキルのさらなる獲得への動機づけになる配慮でもあります。

 

そのため、学校で設定する研修のコースには(それぞれの計画での)短期・長期の海外留学も含めて結構な数を用意していますが、「代替研修」も推奨しています。自分の興味のあること、自分の関心やその先の大学での学びに関係のあることなどで、探究型の自分らしい研修の設定でもいいのです。学校が提供する研修コースを選ばずに代替研修として自分の興味と関心で研修を計画することができます(ただし、提出する計画が全て認められるとは限りません)。

 「校長のつぶやき(88・89)新年のご挨拶」に書きましたが、高校2年生のKさんはルワンダを研修先にしました。現地のNPOの主催する研修に参加し、自分でホフステード理論に基づいて、あるテーマで現地調査をするというものです。また、中学2年生のTさんは鎌倉幕府についての学びとして、調査計画を自ら立てて伊豆の縁ある地や歴史的な場所を探訪する研修を設定しました。宿泊を重ねながら連関的に探究を深めていきたいとしています。代替の自主研修も研修の目的が明確でなければいけません。自分でテーマを決め、問題を設定し事前の調べ学習で仮説を立てて、現地へ行く。フィールドワークとして調査する。それらを通して仮説を検証し結論を導く。大学では普通になっているPBLという学び方です。この活動を支えるのは確かな調べ学習ですが、それを可能にするのはアカデミックスキルの担保(たんぽ=もっていること)です。

<中学入試の向こうに>

 中学入試の向こうに見るべきものは主体的な学びです。それは、日本国内に限らずグローバル化がますます進む未来の社会に生きる力の獲得のためです。やらなきゃならないことの指示を待つだけでは不十分なのです。

 これからの予測不能とも言われるVUCAの未来社会とこれからの人生。色々な場面に出くわし、様々な選択肢が用意されるでしょう。これまでの世代が経験しない世界の到来です。あなたはそれらと一定の緊張感を以って、あなた自身が対峙して、または協調して立つことの必要が増えます。「independence(インディペンデンス)」が大切な時代になります。視野を広く、視線を遠くに。