校長のつぶやき(97)朝の祈り(5月27日学校礼拝)
掲載日:2024.05.28
◆月曜日の朝、礼拝堂では中学1年生と高校1年生が礼拝をまもります。ともに新鮮な気持ちで一年間を通して聖書から学んでいきます。キリスト教教育のカリキュラムの一環で旧約聖書の創世記から順に学んでいきます。関東学院法人全体の学院宗教主任でもある伊藤多香子先生のお話で進められます。
◆物語の描写から読み取るべき中心主題が話され、物語の言葉に込められている意味が噛み砕いて説明されて、そこで人間の本質(本性)についてふと考えさせられる…。聞いていると、「あれれ、人間ってそういうものなのか?」「人間、あるある・・・だなぁ」とか、普段は何気なく素通りしてしまう真理の断片が耳に飛び込んでくる時間です。朝、家を出て通学(通勤)する、学校の授業に臨む・・・、その動線の中で考えるいろいろな事と対比すれば、言ってみれば「非日常」的な時間となります。わずかな時間ですが非日常の話を毎週シリーズで聴いていく。日常のルーティーンの中で次第に固くなっていく心の畑(の土)が掘り起こされる。それがキリスト教学校の礼拝の意義で、学校の価値だと思います。5月27日(月)は人間が創られる物語の場面から受け止めるべき人間の弱さや特徴が語られました。私も仕事は校長でも一人の人間に過ぎません。いくつになっても意識して気づかなければならない人間の傲慢さを知らされる非日常の時間でした。
◆この日は特別に、中学校1年生の聖歌隊のコーラスが賛美として捧げられ披露されました。オリエンテーションの宿泊行事で組織された中学1年生の、まだ小学校の6年生の雰囲気の残っている純粋な透き通るような声での合唱・・・。素晴らしかった。心が洗われない人はいないと思いました。曲は、上村幸一郎氏がマザーテレサの祈りの言葉を歌詞にして作曲した曲、『わたしをおつかいください――マザーテレサの祈り』。
♬ 主よ 今日一日
まずしい人や病んでいる人々をたすけるために わたしのこの手を
友をもとめる小さな人々をおとずれるために わたしの足を
やさしい言葉に飢えている人々と語り合うために わたしの声を
おつかいください♬
◆六浦中・高は「学びを社会に結ぶ、未来に繋ぐ」として、様々な取り組みを取り入れています。それは業(わざ)ですが、もしその業に心が伴わなければ、功利的で利己的に過ぎない技(わざ)に終わります。命は用いられるために与えられた。それが使命感です。学びや活動の奥に、底に、向こうに、持っていてほしい心を毎朝の非日常に感じていきます。